こどもの日記

東京にいるときは近所、と言っても歩けば20分くらいはかかる小学時代はソフトボール中学時代は部活の練習で利用したややトラウマまじりの河川敷や神社の裏山へ行ってジョギングしようと思っていたのだけど、「ちょっと走りに行ってくるからジャージ的なもの出して」という一言がなんだかんだで言えず結局サボる。帰省は人を堕落させる、と個人的なダメ加減を無理矢理一般論にシフトしてみたり。でも一応最低限の筋トレはこっそりやっておいたので勘弁してほしい。


本当なら遅れてる日記を書いたりイラストを描いたりしなくちゃいけないのはわかってるんだけど、所在なさげにぼんやりしてたら母親に墓参りに誘われた。ので行く。歩くにはちょっと距離がありそうなイメージだったので自転車にしたのだけど、実際行ってみたら思ったより近くだったので歩けばよかった。多分子供の頃のイメージで距離感を考えたのが敗因だと思われる。途中でよく世話になった耳鼻科が潰れてたりして感傷的になったりもした。


ところで墓参りって普通の人はどれくらいのペースで参るんだろうか?供えてある花が枯れてるのはなんとなく悲しいというか申し訳ない気がするけど、生花って多分放置してあれば一週間もたないだろうし、そうなると週一以上のペースで来なくちゃいけなくて自分のうちも週一でしか掃除しないような人(僕のこと)には無理だと思った。犬とか飼って散歩のコースにしちゃうとかならできそうな気がするけど。最後に墓参りしたのがいつだったか思い出せないくらい罰当たりなので当然作法らしいことも知らなくて母親にあきれられる。でも墓石に酒とかかけちゃいけないのは知ってる(石を傷めるとかなんとか)。なんかのテレビの受け売り。


参った(降参した、ではない)のは祖父と特に面識はない(と思う)祖母の妹さんの墓だったのだけど、母親が「ついでに自分たち用に買った墓の場所を教える」というので別の寺へ移動する。そこは幼稚園から小学校1年生くらいまでピアノを習って寺だった。今となってはどういうシステムだったかよくわからないけど、寺の敷地内にピアノ教室があったのだ。ちゃんとマジメに続けてればよかったなぁと四半世紀も前のことを悔やんでももう遅い。遅すぎる。


その寺は山の傍に建てられてて、墓は山の斜面に沿って段々畑みたいに並んでる。死んだら意味ないけど、見晴らしとか日当たりとかはよさげ。うちの親の墓予定地は3階建ての建物くらいの高さのところにあった。親と一緒に親の墓(予定地)を見るのはなんか奇妙な感覚だった。帰りがけついでにと言ったら失礼だけど数年前に亡くなった伯父さん(母親の姉の旦那さんも「伯父」でいいんだろうか?と一瞬思ったけど、まぁいいや)の墓も参る。


午後は父親のPCのメンテナンス。帰省するたびになんらかのトラブルをかかえてる。今回も調べてみると一応ウイルス対策ソフトは入れてるのだけど、スパイウェアやらトロイの木馬やらがゴチャゴチャ入っててブラウザの「戻る」ボタンが使えなかったり、勝手によくわからないサイトにリダイレクトされたりしてた。帰る時間ギリギリまで作業してなんとか直ったものの別の邪魔アプリが起動したりして完全に直ったかどうかはよくわからない。すまん。夕食のようなお土産のようなものをもらって駅まで送ってもらう。


なんとなく帰ってこいとうながされたので帰ってみたものの、大した親孝行もしなかったし感謝の言葉とかもモゴモゴつぶやくように言っただけで、そういうのがキチッと言えるようになりたいものだと帰りの電車の中で思った。